或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

あと2ヶ月半で40になるのに不惑にはほど遠い現状と私の思う本音というもの

嘘やおためごかしは許せない、あなたの正直な思いを教えてくれ。

という人にこれまでけっこう出会ってきた(友人、恋人、親)が、そう言われるたびにほとんど毎回、こちらの本音を言葉にして伝えることができなかった。本音があればきっとどうにか言葉にできるのだろう。ここでそれを伝えないともう終わります、という段階まで来たときに、そんな時になってもいよいよ本音を言葉にできない。おそらく自分には本音というものがない。なにかの「事実」のあとに、それを受けた「ぼんやりした感情」を希釈したり濃縮したりして心の中にとりあえず置いているだけなんだろう。

子どもの頃からそうだった。自分の行動の理由に説明がつかない。だからその時なりの誠意を尽くして、ぼんやりした感情をなんとか形にして伝えても、なにせ急造ものだから理屈として筋が通らない。

それを聞かされた相手はだいたいこう言う。「ちょっとなに言ってるかわからないです。というかあなたがなにを考えているかわかりません」。その少しあとにほとんどの関係が終わってきた。

自分の本音すらわからない、本音がない人とは付き合えません。ということならそれは自分も理解を通り越して共感できる。自分自身、本音どころか普段なにを考えているのかよくわからないし、そんな自分と付き合うことにいい加減あきれて、疲れている。

 

本音を言ってくれ、と言われても本音がない。ないものはない。なんとか捻り出してもそれは本音ではない。「ないものはない」というのが本音だ。それ以外にはなにをどう伝えても嘘になる。嘘はばれる。仕方ない、さようなら。

 

「わからない」と伝えたい。それが本音で、それだけが嘘にならない。あなたの正直な思いを教えてくれ、と言われたら、「わからない」と本当は言いたい。そう言えないから嘘をつく。その嘘を許してほしい。嘘は手段で、中身はほとんどどうでもいいかもしれないから。

自分がそんなありさまだから、他人の嘘に寛容でいたい。嘘の中身はどうでもよく、嘘をつくしかないのなら、それでいいと思う。嘘と知っていても知らぬが仏だろう。別に仏様になりたいなんてチリほども思わないが。まだ死にたくないし。