アルコールについて思うこと、ここ11ヶ月もしくは15年を経て

本日は有給休暇。

Twitterでここ一年弱の間につぶやいていたアルコール、お酒について思うことをまとめつつ、いまの感触で足したり差し替えたりしておきたいので、する。

 

去年の7月から横浜市芹が谷にあるアルコールや薬物の依存症の治療を専門とする病院に12月まで通院していた。

通院が終了してしまったのは、主治医が突然再起不能レベルの体調不良に陥ってしまったことに依る(詳しくは聞けなかったし、いまも聞く手立てがない。お元気だろうか、とても気がかり)。現在は地元の病院に通い、アルコールについてのカウンセリングを受けている。

 

お酒、アルコールを楽しく飲み、愛好していたのは25歳くらいまでだろう。それ以前にも飲酒による問題行動をしばしば起こしていたが、独りよがりにお酒を愛し楽しみ、他人友人家族、世間に迷惑をかけてもなあなあで自分を許していた。

 

20代の前半から、お酒に嫌気が差し始めてはいた。そして次第に、飲んでも美味いとは露も思えず、一度にカップ酒を3〜5本一気飲みし、しらふ(仮の、なにもできない自分)から別の人格(なりたい自分、本来の自分)へ変身し、そしてその状態を保ちたいと思うようになっていった。

記憶の喪失は茶飯事、問題行動、そして連続飲酒の兆しも頻繁に見え始め、いよいよ「依存症」を少しずつ自覚していくようになった。

依存性とは「否認の病気」であるという。まずははっきりと自分が依存性であることを認めない限り、治療を開始することはできないという。

この「自認」というのは「まあ俺はアル中なんだろうなあー」程度の自覚では駄目で、「これは今すぐにでも治療を始めないともう人生が破綻する」と思い詰めて、初めて「自認」と言えるのだろう、と個人的には思う。その意味で私が依存症であることを自認したのは去年、2023年の4月1日。「開き直るための自覚」から「立ち直るための自認」へシフトするまで15年ほどかかったことになる。あまりにも長い時間だが、自分にとっては20代〜30代の人生を生きるためにはどうしてもアルコールが必要だったのだろう、と39歳のいまはそう顧みている。そうやって20歳からのおよそ20年を割り切らないと、正直あまりにも虚しい、やりきれないと思う部分もある。

世間が怖かった。いまも怖い。

 

Twitterでは自分を「完全なアルコール依存性患者」としてツイートしてきたが、実は芹が谷の専門医療機関で朝から晩まで一日かけた各検査とカウンセリング(生い立ちから家庭環境、自分と社会との関わり方、飲酒による問題行動、飲酒への考え方について、一切の体裁の取り繕いや嘘を挟まずに回答していく)の結果、「アルコール依存性とは断言できず、まだ飲酒を続けるか断酒するか、どちらを選ぶかその決定権はあなたが握っている」との診断が下っていた。毎日の飲酒量は日本酒換算で一升を優に超え、2000〜2400mlに至っていたが、休日は一滴も飲まなかった(部屋に籠る休日は「本来の自分」に変身する必要がないため)こと、その一点がアルコール依存性の最大の特徴である「連続飲酒」にあてはまらなかったのがこの診断結果の主因だった。

落胆した。「あなたはアル中です」と断言してほしかった。しかしお医者や他人からのお墨付きの有無に関係なく、アルコール依存性を「自認」してしまったら、それは立派に依存性なのではないか、と私は強く思う。

泥酔した自分が本来の自分であるはずがない。一滴でもアルコールを身体と脳に入れた自分、その状態でほぼすべての判断を下し、社会との関わりからお酒で逃げ続ける自分、あらゆる人に迷惑を掛けていちおう反省のようなものはするが、それを何度も繰り返す無反省な自分が心底嫌いになった。飲酒する自分を心底嫌い抜く、これはアルコール依存性を「自認」することとイコールではないだろうか。

そして4月1日からの断酒は本日までいちおう継続している。

 

30代前半に、2年半ほど禁酒していたことがある。恥ずかしいことに、なぜ禁酒を始めたのかまったく覚えていないが、おそらく完全な「自認」には至らずとも、「ほろ酔い以上泥酔未満の自分=本来の自分」というかたちにうっすらと疑問を抱いたのだろう。その禁酒は2年半で終わったが、始まりとは違い終わりははっきりと覚えている。

それはなにかトリガーのようなもの、ストレスや強烈な飲酒欲求が降りかかってきたわけではなく、「今日はカレー食べたいな、コカコーラゼロ飲みたいな」のような感覚で「ビール飲もうかな、いややっぱりカップ酒だな」と唐突に感じたある晴れた日の昼があっただけだった。

 

ほとんど根拠にもならないが、そんな2年半があったので、現在の断酒もあと1年半は簡単に継続できるのではないか、となかば楽観的に捉えている。なんのきっかけもなく突然終わる断酒の瞬間に怯えながら、その断酒の毎日を日毎に積み立てていくのはそのあとだろう、とも考えている。

 

 

断酒を始めて起きた変化。

15kg痩せたが食欲は増している。

性欲の減退。

しらふの自分、情けなくうまく世間と付き合えない自分こそが本来の自分だと、消去法的に受け入れることにした。その為に悔しかったり恥ずかしかったりするが、それをちゃんと受け止め、喜ぶべきことは喜び、人としてここから成長できるかもしれない、と考えるようになった。

生きる上の目的、目標が何ひとつなかったが、「酒を飲まないまま死ぬ」というシンプルな目標、夢のようなものを持つことができた。

しらふの自分の人格が、断酒前の「ほろ酔い」のような状態に変わった。これはしらふの自分こそが本来の自分なんだ、と受け入れた結果、それならしらふで楽しく生きてやる、と脳か心が勝手に決めたんだろうな、と感じている。自発的にそう変えたわけではない。

 

「どうせ俺なんて」と言っては駄目だよ、卑屈になっては駄目だよ、と思春期のころからずっと折に触れ色々な人に言われ続けてきたが、「そんなの無理だよ、この世間で生きていくための最重要のエクスキューズなんだから」と思っていた。しかし「どうせ俺なんて」と卑屈になったところでなんの言い訳にもならないし、とても大袈裟に言えば生きている意味がないな、と感じるようになった。

 

 

 

私の母もアルコール依存性だが、罹患から17年経ったいまも、その強靭すぎる肝臓のために身体のほうが参らず、いまだに隠れて酒を飲んでいる。

母はしらふのときは素晴らしい人間で(本当に「こんな人いるの!?」というくらいの)、私はいまも母を尊敬し、また愛しているが、おそらく母は酒をやめられずに死んでいくのだろうなと思っている。

「自認」し、向き合わなければ治療もできないのだから。

 

私は母に比べれば、完全にアルコール依存性であると断言、診断され、飲酒する権利を剥奪された母に比べれば、お酒を我慢することは相当に易しいことなのだろうと思うし、実際に母と接しているとなおさらそれを実感する。

母が抱えている、飲酒欲求を押し殺すその四六時中を、1分間でも体験することができればもっと適切に寄り添えるのかもしれない、とも思う(5分間だと最寄りのコンビニにダッシュしてカップ酒を一気に飲み下してしまうのであくまで1分間)。

 

100%のアルコール依存性ではない、飲むかやめるかはあなたが決めることです。そう診断された自分の最大のメリットは、繰り返しになるが客観的事実として完全なアルコール依存性と認定されてしまった人よりも断酒が相当容易であろうことだ。

芹が谷の主治医にも、「相馬さんなら大丈夫です」と、かなり早い段階で抗酒薬(ノックビン)の処方はされなくなった。

そんな客観的な容易さを残したまま、主観的にアル中を「自認」し、「飲まずに死ぬ、飲まずに死ぬまで生きる」「断酒が続けば、それだけで自分の人生は幸せ」と明確な生きる道標を持てたことを前向きに受け止めたい。

 

Twitterでのつぶやきをまとめようと思ったが、結局いま思うところを頭に浮かぶままに殴り書き、殴りフリックした形になってしまった。

断酒が破れたとき、これを読み返して絶望するのか鼻で笑うのか、おそらく後者な気がする。どうせやけになっているだろうし。

いま持てている、もしくはかつて持っていた生きる目標、意味を鼻で笑うほど悲しいことはない。断酒を続けよう。