或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

泣いたって駄目だよ逃げられねえよ

互いの勝手知ったる仲でも全然無いが、好感の持てる人間に
「面白い人ですね」
と言われる。
「何が?顔が?」
「いや、何となくですけど」

それを友人に話すと
「それは最高の誉め言葉だよ」
と言われる。
周りの人間が自分にどんな印象を持とうが関係が無い。とか言うのは周りが自分をどう思っているか気になって仕方が無い小心を踏まえた虚勢だ。
そこにいるだけで面白い人間と言うのは確かにいる。
存在していることが面白い人間と言うのは哀れだ。異物だ。残念ながらそういう人間はいくら努力しようとも環境に適応できない。環境との隔たりは、その異物感で以て狭まることもないがその存在のユニークさで以て拡がることもない。その人間が作る磁場に環境が絡め捕られ、環境のほうから遠ざかっていくことを許さないのだ。がしかし環境も同じように、より強い磁場を形成している。ユニークな人間はその中で自身の磁場を構築し、外部から縛られながら内部を縛り迎え撃つ。
当然ながらユニークでない人間と言うのは存在しない。上記の屁理屈は万人すべてに共通する。
気づくか、気づかないか。対人の齟齬に気づけば自身がどれだけその絡め捕られた網の中で足掻き軋んでいるかが分かるだろう。もがけばもがくほどに網はがんじがらめに全身に絡まり、抜け出すことが難しくなっていく。
遍く人間と言うのはいつか必ず主に取り込まれ網の主の栄養素となり役割を終える。ユニークな人間と言うのはその工程渦中にある哀れな存在を指す。
抗えば抗うほどに糸は絡まり主への距離を自ら縮め没個性への近道となるが、無抵抗はその時点で死を意味する。
さてどうしよう。意図を焼き払ってみようか。