或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

今頃が終わりの季節なんであろうか

現実社会でも、最近、身内であろうが赤の他人であろうがネット上の話で盛り上がっているのを見かける。ミクシイだ。現実社会の話題の3割がネット上の話。
このまま順調に行けば現実社会の会話をすべてネット上の話題で成り立たせることも可能だ。いったい私たちはどこに生きているんでしょうか。ミクシイでつながる関係もすばらしいし現実社会でつながる関係もすばらしいですね。わかりやすく言ってしまいましたね。ネット上も現実社会もリアリティがなくなってきましたね。何が「現実」なんでしょうかね。
いかん。ひとりの部屋でワンカップを飲んでいる間、もっとも「生きている」と、「現実」に直面している気がする。そうではないんだがね。人の間でがちゃがちゃやってないと現実味は享受できない。できないんだががちゃがちゃやらせてもらうその人の間に現実味がないと意味がない。なにやら。慣れというものは怖いものだ。


駄文散文の限りをこのスペースでぶちまけて、現実社会の友達知り合いに見られて、なにがなにやら。
「お前は言いたいことが何もないのに、無理に捏ね繰り回して難しくしてるよな」
一人の友達にそう言われたが、その言葉が頭から離れない。俺には言いたいことは何もない。人に聞きたいこともあんまりない。
言いたいことが何もない、などといつまでも言っていていいわけがない。開き直っていていい年齢はとうに過ぎた。
俺の内心は果たして。浅いのか深いのか。釘なのかねじなのかトラスなのか。あるいはインパクト?玄翁でもかまわん人力の魅力。自分の内心がわからん。人との触れ合いが増えれば増えるほどに自分がわからん。