或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

終わりの季節は救われる気持ちなんかどこにもありませんよ

あ、暖かい。この暖かさは何なんだろう。誰かの眦が下がっている。生が弛緩して泣く。下賎ですね。まあよしとして。
一番電車に乗って漫画喫茶のマッサージチェアーの気持ちよさを回顧しつつ帰宅。しかしこの家も、15年暮らしてきたこの家ともあと十日でお別れ。お別れするために出会うのであるがお別れするためになんでこんなに俺を傷つけるのだ。畜生と畜生と畜生と。
つばを飲み込む暇もないほど忙しいこの毎日。別れがあれば出会いあり。笑いあり涙あり。しかしいずれ暮らしの果てに、みんなチルアウト。落とし前は誰がつける?このむなしい気持ちを誰かが受け止めてくれるんですか。彼氏か彼女にそれを求める人たちは幸せだ。おめでてーまったく。人間たるもの独り身でリビドーを溜め込んだまま、膿むまで待って死ね。
これが私の標榜する生き方であってせせら笑って嘲笑するやからとばっかり仲良くなっていきたい。こんなんをすごーいとか言う人間は全員死ね。全員死ね。
とどのつまりみんないつかいなくなるってわかっててなんでお別れが来たら泣くんですかね。自分がむかついてしょうがなくて消えてしまいたいが消えるなんてできるはずがないのがわかってるからへらへらしてワンカップ飲んでまた泣く。
人と人のつながりは総じて薄いが、お別れが来たとたん「濃かった!」と、その既成事実でいくらでもスタミナは増していく。錯覚、気狂いの類のテンション。これでいい。お別れ上等。花に嵐のたとえもあるが。サヨナラダケガ人生ダ。ポジに捉えろ。前傾姿勢でどこかいかがわしいところへダッシュししゃぶってもらえ。30分3000円。姫っこ茶屋。