或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

交差点で見知らぬギャルを窺う

ナンバーガールの記録シリーズを8千円出して買ってそれを聞きながら午後九時になぜか90キロ出る原付で10分の最寄のレンタルビデオ屋に裏チックなアダルトビデオを借りるために行くと、中学高校時代の同窓生(男子)がレジを売っていてこれこの上ない好機と7本アダルトビデオを借りたが一週間でこれを消化するだけのスタミナがない。しかしこれを好機とこの際底なしのスタミナを、精をつけたいと思います。ついた精を搾り出したいと思っていますがいかんせん七本。これは生半可な覚悟では遂げることはできないタスクであります。のでしばらく学校には行きません。イカず後家。いや、イクしこくんだが。いかずこけ。それは無理な相談と言うものだ。
美しい花がある。花の美しさというものは無いらしい。曖昧に存在する観念それだけを引っ張り出すほど不毛な倒錯なことは無いらしい。人というものがあるが、人の醜さというものもないらしい。では醜い人と美しい人がいるかというと、そんなことは無い。二元論でくくれる人というのは存在しない。同様に花も、美しいと断定するに足る要素しか持ちえぬ花は存在し得ない。では最終的に美しい花と形容される花というのはどんな花だろう?
ノゲイラ兄弟の喧嘩を想像してみよう。なんと凄絶なことか。しかし兄弟喧嘩です。所詮はめいめい鼻血を出してお母さんが怒鳴り声で仲裁を買って出て終わるだろう。と思えばただでさえ市井のクズ兄弟が白昼団地で実力伯仲の殺し合い。ノゲイラ兄弟もこのくらいのバーリトゥード精神で今後とも死合に臨んでほしいものです。さよならさよなら大三元。俺も今日から自部屋に住み着くスモーク状の住人からみかじめをとりたいと思うんです。
つまりこういった実らぬ思索を根に咲く仇花こそ美しい花だということです。説明になっていないだろうと一笑に付しておしまいな人がほとんどだと思いますが、こういうことなんです。
↑のように言い切られてしまうとなんだか呆れを通り越して私をあきらめてしまう人がすべてだと思いますがそれでいいんです。ソレガシ遅漏に御座候。ああ起承転結を持つうちが花。もはや私はおしまいです。着想も帰結もない。風邪を引くと小便が出ない。