或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

 臭いものに蓋をしようと、十九の私は先ほど六畳の自部屋にて息巻いた。
 臭い受験、臭い元彼女、臭い友人、臭い学級閉鎖。どいつもこいつも、ついに私を認めようとはしなかった。そのひとつひとつ、部屋にはっきりと残るその残滓。あんぐり口を開けて異臭を放っていた。入念に迅速に蓋をしてあげる私。
 具体的に言おう。赤本、写真、卒業アルバム、私信だらけの学級だより。これらをすべて、ダンボールに梱包したのだ。
 そのためには部屋中を穿り返さなくてはならなかった。ワンス、パー、ディケイドの大掃除だった。相当骨を折ったが、なんとか忌まわしい記憶の残滓をすべて梱包し終えることができた。
太陽の一番高いタイミングに作業を始めたのだが、今はもう夜も明けようとしている。昇る朝日をぼんやり眺めながら、私はある感慨にふけっていた。
 思えばこの部屋をつくったのは私だ。家具の配置。ふざけたポスター。はがしたポスター。洋服ダンス。その上に置くマガジンラック。壁に掛けるハンガーの一つ一つの色まで、それらは全て私が吟味して購入しそろえたものだ。私の背の丈を越えた、窓辺に並ぶ鉄骨の万能棚に木製机。十五年前、この部屋を親に与えられたとき既に据え付けられていたこの二つを除いては。
 深く昔から、大型家具店にて、雑貨屋にて、いろいろな棚、卓、箪笥を見るにつけ、
「あれは私の部屋にそぐわない。よしこれにしようか」と取捨選択を繰り返すうちに、次第に部屋をつくるのは私ではなく部屋自身になっていた。
 その本末の倒錯は、私の人格の変容にも波及した。私が今こうして卑屈であるのは、やはりあの先述した長身の鉄骨棚と木製机の織り成す、積年の鷹揚、いや傲岸のラインにあてられたからに違いないのだ。
 部屋をつくってきたはずの私は、いつからか部屋につくられていたのだ。
 さらりと心に言ってのけたが、言ったあとのたった今、「そうだったのか。ショックだ」
昔から、何日か家を離れていると、帰ってきていきなり自部屋が不自然に見えることがある。というか毎年そうなるんだが。

「この部屋は誰のですか?」と毎年なる。正確には

「どんな人間がこんな部屋にしたんですか?あうん、やっぱり私ですか」

となり、毎日の生活で部屋に没入していた自分が、この客観視のために部屋と切り離されて浮き彫りになる。そして同時に、旅行なり帰省なりして何か自分が変わった、とか「新しい自分」という陳腐なセルフイメージを、出発前となんら変わらない部屋がぶっ殺す。震えが来る。

一見、バーリトゥード方式にのっとったかのごとく無法な自部屋だが、その無秩序に実はちゃんとした秩序があり、それが他人にはまったくわからなくとも自分には当たり前だが全てわかってしまう。なぜ床にピックをまくのか。探す手間が省けましょう。なぜ床にギター、ベースを寝かせて置くのか。自分は部屋で寝たくないから。なぜ本棚に服を積むのか。部屋で本など読みたくないからだ。ああわかるぞ!やっぱりこの部屋の主は自分でありますか。しかしこんな部屋にしたのは本当に私でありますか?もうこうなってくると、部屋を作っている私がある時点から、部屋に作られていることに改めて気づく。

そうした、生きている部屋、ひいてはそれに洗脳された私、その私の作る部屋、それに没入する私。そしてさらに息づく部屋。この悪しき循環を断ち切るべく、「新しい風を入れよう」
そうして私は、今日を異臭を放つ残滓の処理だけに留める事ができず、部屋にある全てを捨てることにした。
 捨てた。
 何も無い部屋。何も無いのだから「空き箱」か。
 フリーダム。フリーダムなんです。これはいい。無職の部屋に分相応。一切のフレーバーは消失、すると部屋も私も限りなく透明に近い無職、もとい無色に。
そうだったのか。匂いが色をつけるのか。匂いのある、色のある箱を部屋というのか。そうだとしたら、あの(この)部屋が産んだ、もはや自我(色)を持たない私は――
 不安になった私は、せっかく無臭状態の部屋をまたイカ臭くした。