或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

更正婦人

何日か家を離れていると、帰ってきていきなり自部屋が不自然に見えることがある。というか毎年そうなるんだが。
「この部屋は誰のですか?」と毎年なる。正確には
「どんな人間がこんな部屋にしたんですか?あうん、やっぱり私ですか」
となり、毎日の生活で部屋に没入していた自分が、この客観視のために部屋と切り離されて浮き彫りになる。そして同時に、旅行なり帰省なりして何か自分が変わった、とか「新しい自分」という陳腐なセルフイメージを、出発前となんら変わらない部屋がぶっ殺す。震えが来る。
一見、バーリトゥード方式にのっとったかのごとく無法な自部屋だが、その無秩序に実はちゃんとした秩序があり、それが他人にはまったくわからなくとも自分には当たり前だが全てわかってしまう。なぜ床にピックをまくのか。探す手間が省けましょう。なぜ床にギター、ベースを寝かせて置くのか。自分は部屋で寝たくないから。なぜ本棚に服を積むのか。部屋で本など読みたくないからだ。ああわかるぞ!やっぱりこの部屋の主は自分でありますか。しかしこんな部屋にしたのは本当に私でありますか?もうこうなってくると、部屋を作っている私がある時点から、部屋に作られていることに気づく。
そうした、生きている部屋、ひいてはそれに洗脳された私、その私の作る部屋、それに没入する私。そして息づく部屋。この悪しき循環を断ち切るべく、新しい風を入れようと散策に出かけてアスファルトセミのひどい死骸をいくつも見つけて勝手に落ち込んでしかし夕暮れ見て「なあに、まだまだよ」とかイースタンユースのようなオチをつけて帰宅してメシ食って寝る。繰り返して先月成人した。ああひどい。