或る阿呆のナマステ

それこそひそやかに

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中学時代に朝会で校長が
「『孤立』と『孤独』とは違う意味の言葉です。『孤立』とは単に環境から疎外されている状態を示す言葉です。『孤独』とはそれを耐え抜く強さを示す言葉です。皆さんも『孤独』に耐え抜く力を持った人間になってください」
とのたまい、当時くそひねくれすぎて逆に超ピュアだった自分は
「そんなもの日によって変わるんじゃねーの?孤独な人も弱ると孤立するし強まると孤独になったり大体孤独なあるいは孤立している人間は物思いにふけらざるを得ないからだいたい物思いに大いに時間を割くと気持ちも沈んでいくのだから弱っていくだろう。そうなったら孤立しているということじゃないか」
と、(高校入学後、越境入学の友人との帰宅中の雑談時、そいつの出身中学の別の校長もとある朝会にて全く同じ話をしていたということが判明し、察するに「朝会マニュアル」のような手引きからコピペしただけの、「『校長』とは物事を自分なりに噛み砕いてから生徒に説く、ということもできないくらいの忙しい役職である」ということしか勉強にならないお話しについて)真剣に考えてしまったものだった。
最近、朝、食パンにベーコンをはさんでよく食っているが、今朝方それを食いながら「これハムだったら多分まずいけどまああまり変わらないな。どっちにしろ味気無いな。せめてマヨネーズがほしいな」と思った瞬間答えが出た。
俺強いから孤独だけど孤立だったらまずいなあ。でもまあ孤立も孤独もあまり変わらないな。どっちにしろ味気ないというだけだ。せめてマヨネーズがほしいな。
紙面上だったら「だらだらと長々とすいません。クソした後ケツを拭く紙にでもしてください」という落ちが使えるがこれブログなんだよね。